第9回 SRI LANKAN DINING A*MAYA マスター・ラッキーの「アメージングニッポン」

スリランカ料理店でマスター業をはじめて、早1年が経ちお客様からもラッキーの愛称で親しんでいただいております。
そんな私がスリランカから日本に来たのは2002年8月。
23歳の時、留学生として大阪にやって来ました。

 

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学校は冬休みになり、茨城県に住んでいるスリランカ人の友人宅へと行くことに。
日本に来てからどこにも行ったことがなかった私は、楽しみでしかたありませんでした。
友人は大阪まで私を迎えに来てくれ、スリランカ人ばかり9人が集まり、車2台を使って真夜中に茨城県に向け出発。お酒を飲んだり、歌ったりしながら、途中、名古屋に住む友人に会うために高速道路を下りた時のこと。

「アメージング!信じられない」

 

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そこには、生まれて初めて見た雪!
周りは全部真っ白で、雲の上にいるようで、とにかく気持ちいい。
2時間ほど雪遊びをして、また茨城県に向け出発しました。

 

ようやく茨城県の友人の家に到着したのは、夕方でした。ずっとお酒を飲んでいたのと、初めて雪遊びをしたせいか、私はとても疲れていました。しかし、日本の寒い冬に慣れている先輩のスリランカ人たちはまだまだ元気。その頃ちょうど雨が降り始め、「それが夜に雪に変わるかもしれない」と聞くと、私は「また雪が見られる!」と胸がふくらみました。

 

元気な友人たちは、そこから筑波に住むスリランカ人の家へ遊びに行ってしまいました。
私はひとり残り、ゆっくりと過ごしていると、夜9時ぐらいに友人が言っていた通り、雨が雪に変わりました。思わず外に飛び出し、空から降ってくる雪を初め見ました。

 

でも、どんどん風が強くなり、雷も鳴り始めました。私は少し寝ようと家の中に入りましたが、大きい雷の音と、風の音で全く眠れません。友人の家はかなり古く、しかも一人ぼっちなので段々心細くなってきました。しかし友人たちは一向に帰ってきません。
とても寂しくなりました。
テレビでも見ようかと思った時、大きな雷の音が聞こえ、家の電気が全部消えました。

 

停電です。とても怖かった。
どこかにある時計からアラームが聞こえて、深夜0時。
しばらくするとドアをノックする音が聞こえました。
「友人が帰ってきたのかもしれない!」
でも、雷が怖くて寝られなかったというのは恥ずかしいので、私は寝たふりをしました。しかし、友人たちは家の中に入ってきません。そしてまたノックするのです。
仕方がないので、私は玄関まで行きドアを開けました。

 

そこに立っていたのは、白い女性。
「おばあさんの幽霊だ」。
私の人生はここで終わると思いました。
スリランカに住むお父さん、お母さん、弟たちみんなの顔を思い出しました。怖くて怖くて、汗で体中ベタベタになる中、私は祖母が話していたことを思い出したのです。
「幽霊を見たら、着ている服を脱ぎながら、悪い(汚い)言葉を幽霊に向かって叫ぶのよ」。私は知っている限りの悪い言葉を言いながら、服を脱ぎ始めました。
すると白いおばあさん幽霊は大きな声をあげて逃げていきました。
亡くなった祖母にお礼を言いながら、ドアを閉めて布団に入りました。

 

次の日、友人たちの声で目が覚めました。私は風邪をひいて、かなり熱があるので、すぐ大阪に帰りたいと言いました。不思議に思っている友人たちに、私は昨日起こった出来事を話しました。するとみんな大声で笑い始め、私を連れて、隣の家へ向かいました。隣の家から出てきたのは、昨夜見たおばあさんの幽霊です。
友人たちによると、私の体の調子が良くないのでみんなで出かける前に、おばあさんに私のことを伝えていたのです。おばあさんは雷で停電になったので私を心配してろうそくを届けてくれたのでした。白いレインコートを着て。

 

私は恥ずかしくて、おばあさんに何度も謝りました。

これが私の日本に来て、一番びっくりした話です。

 

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